ぶらり歩き

33. 足利散策                                                  平成25年8月18日

 以前から、日本最古の学校と言われる足利学校を訪ねるみたいと考えていたが、青春18きっぷが4回分残っており、使い残す恐れも出てきたため、妻とともに7時前に家を出る。上野駅から宇都宮線に乗車して小山駅に出て、両毛線に乗り換えて10時過ぎに足利駅に到着する。駅の職員から観光協会は太平記念館にあると教えられ、強い陽ざしのなか記念館に向かって歩き出す。
 
 駅前には何台かのタクシーが客待ちしているだけで、ほとんど人影も見かけることなく、太平記念館にたどり着く。館内には数名の観光客が居合わすが、ことのほか閑散としている印象を受ける。入口近くに俳優の真田広之さんが足利尊氏を演じたときに着用した鎧(写真1)が展示されており、足利氏の本拠地にやってきた実感が湧いてくる。館内の冷気でいくぶんクーリングして足利の街歩き地図をもらい、外に出ると、道路の反対側は足利学校跡で、土堤に囲われてた敷地なある茅葺き屋根が目に飛び込んでくる。

 足利学校の入口に入徳門(写真2)があり、その先に足利学校のシンボルといわれる寛文8年(1668年)に創建された学校門(写真3)が配置されている。受付でもらったパフレットによると、足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説(注1)、平安時代の小野篁(おののたかむら)、そして鎌倉時代の足利義兼説など諸説があるようだが、以前住んていた近くに小野篁が国司を務めた小野路という地区があり、何回か訪れたこともあり、心情的には小野篁説を支持したい心持ちである。

 (注1) 古代の下野国の地方教育機関のこと

写真1 ドラマで使った足利尊氏の鎧 写真2 足利学校 入徳門 写真3 足利学校 学校門




 学校門を潜り、土堤の中に入ると、孔子が弟子を教えていたところに植えられていた杏の木に因んで杏壇門(きょうだんもん)が建てられている。築地塀に囲われた門内には寛文8年(1668年)に建立された孔子廟(写真4)が、東京の神田にある湯島聖堂に比べると規模は劣るものの、厳粛で重々しい姿を見せている。薄暗い内部の中央には天文4年(1535年)に製作された木造の孔子座像、右側に小野篁像、左側に徳川家康の神位が祀られている。

 先ほど目にした茅葺き屋根の建物は方丈庫裡(写真5)で、足利学校の教室や学生の学習室、行事、接客、台所に使われていたものである。庫裡の入口に宥座之器(ゆうざのき)(写真6)が置かれいて、この器は空の時には傾き、水を適度に入れると起き上がるが、入れすぎるとひっくり返って器に入れた水はすべて失われてしまう仕掛けになっている。これは、論語にある「満ちて覆らないものはない」の教えを伝えるための道具で、試しにやってみたが、まったくそのとおりで、満ち足りることを知らなくなった現在文明の行く末がふと頭をよぎる。建物は展示館となっており、足利学校創立からの歴史がパネルで紹介されている。学生は全国各地から集まり、驚くことに沖縄から勉学に訪れた学徒もおり、足利学校の名声か全国津々浦々に鳴り響いていたことがわかる。

 この他に、学生の学習や生活の場であった衆寮も再現されているが、うなぎの寝床のような細長い平面をした畳部屋で学習はともかくも、寝るには窮屈な印象を受ける。

 足利学校に抱いていたイメージは、学校の始まりの由緒ある学校ということで、もっと大規模な建物、敷地を思い抱いていたが、意外にもこじんまりとまとったものであった。しかし、少数精鋭の俊才が全国から集まり、切磋琢磨して学問の研鑽に励んだであろうことは、再現された建物、その配置から十分に感じられる。

写真4 足利学校 孔子廟 写真5 足利学校 方丈と庫裏 写真6 足利学校 宥座之器




 ちょうど昼時となり、入徳門から出たところにある足利二条大麦味噌を売りにしているお店で、麦とろ手打そばの昼食を摂る。細めんで腰があり、麦とろは足利二条大麦味噌を加えた出汁を使っていて、味噌のかすかな香りがして美味である。また、お店の前の石畳には、地下12mからくみ上げた清水で打ち水がしてあり、猛暑を少し和らげてくれる。地下水をくみ上げているところには、清水で心も洗い清めると思いを込めてのことか、「洗心」と書いた木版を掲げている。実は、最近新潟の朝日酒造の「洗心」という銘酒を賞味したばかりのため、味わいがよみ返った次第である。

 次に、四方を堀に囲われた正方形の境内をもつ鑁阿寺(ばんなじ)を訪ねる。元々は八幡太郎源義家の子義国、その子足利義康(足利氏の祖)の二代にわたって邸宅とした土地に建立された寺で、本堂(写真7)は鎌倉時代初期の建久7年(1196年)に足利義兼によって建立され、国宝に指定されている。この他にも鎌倉時代に建立された建物として、鐘楼東門西門がある。境内には足利尊氏の像(写真8)が建てられ、足利氏を代表するヒーローは初代の足利義康ではなく、何といっても鎌倉幕府を滅ぼし、源氏本流の室町幕府を開いた足利尊氏である。

 昼の盛りの暑さは半端ではなく、外を歩いている人をまったくと言ってよいほどに見かけないが、足利織姫神社に向かう。途中、足利織物傳承館の看板を見つけ、クーリングを兼ねて立ち寄る。訪れる人は少ないようで、係りの女性が展示物やビデオを用いて、足利銘仙の盛衰について詳しく説明してくれる。最近では、成人式や結婚式の花嫁が着るくらいで、着物を着る習慣そのものがなくなってしまったので、足利銘仙がはやらなくなったのは致しかたないところといえるが、悲しくもある。

 再び、猛烈な日差しの中を足利織姫神社に向かう。拝殿(写真9)に行くには200余段の石段を登らなければならず、拝殿に辿り着いたときには全身汗だらけとなる。祭神は機織りを司る天八先々命(アメノヤチチヒメノミコト)天御鉾命(アメノミホコノミコト)の二柱で、織物の地・足利に相応しい神社である。

 これで予定していた見物を終えたので、足利駅まで日蔭を選んで扇子を使いながら戻る。途中でかき氷のお店を見つけ、オーバーヒートした身体をクーリングする。特に、イチゴ氷は店主の若い女性が吟味した甘酸っぱいイチゴの実を使い、他にはない一品である。
      

写真7 鑁阿寺 本堂   写真8 鑁阿寺足利尊氏像
写真9 足利織姫神社 拝殿



 

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